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酒井忠直 (庄内藩)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠直
時代 江戸時代
生誕 寛永20年2月16日1643年4月4日[1]
死没 元禄13年4月29日1700年6月16日
幕府 江戸幕府
出羽庄内藩公子
氏族 酒井氏
父母 父:酒井忠勝、母:側室
兄弟 忠当忠俊忠恒忠貫忠盛忠直
忠解忠興山名恒豊
直隆
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酒井 忠直(さかい ただなお)は、出羽庄内藩酒井家の公子。一門酒井奥之助家初代。

経歴

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寛永20年(1643年)、出羽庄内藩主・酒井忠勝の六男として生まれる。明暦2年(1656年)8月、庄内藩主の兄・酒井忠当の弟として江戸城将軍徳川家綱に拝謁し、忠当より1,000石の分知を受ける。

元禄13年(1700年)4月29日死去。享年56。

家督は、祖父・酒井家次の五男で5,000石の旗本であった叔父・了次の孫である庄内藩番頭重秋の四男・直隆が相続した。直隆の子・直豫は、享保17年(1732年)、出羽松山藩第2代藩主・酒井忠予の養子となり、第3代藩主忠休となったため、直隆の実弟・重一の長男・直恭がその跡を相続する。直恭以降代々奥之助を通称としたことから、酒井奥之助家と呼ばれる。奥之助家は、両敬家とも称され藩内でも特別な家として重んじられた。

脚注

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  1. ^ 『新編庄内人名辞典』(庄内人名辞典刊行会、1986年)p.326

関連項目

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参考文献

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  • 庄内人名辞典刊行会『新編庄内人名辞典』