酒井忠直 (庄内藩)
表示
時代 | 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 寛永20年2月16日(1643年4月4日)[1] |
死没 | 元禄13年4月29日(1700年6月16日) |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 出羽庄内藩公子 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井忠勝、母:側室 |
兄弟 |
忠当、忠俊、忠恒、忠貫、忠盛、忠直、 忠解、忠興、山名恒豊 |
子 | 直隆 |
酒井 忠直(さかい ただなお)は、出羽庄内藩酒井家の公子。一門酒井奥之助家初代。
経歴
[編集]寛永20年(1643年)、出羽庄内藩主・酒井忠勝の六男として生まれる。明暦2年(1656年)8月、庄内藩主の兄・酒井忠当の弟として江戸城で将軍・徳川家綱に拝謁し、忠当より1,000石の分知を受ける。
家督は、祖父・酒井家次の五男で5,000石の旗本であった叔父・了次の孫である庄内藩番頭・重秋の四男・直隆が相続した。直隆の子・直豫は、享保17年(1732年)、出羽松山藩第2代藩主・酒井忠予の養子となり、第3代藩主忠休となったため、直隆の実弟・重一の長男・直恭がその跡を相続する。直恭以降代々奥之助を通称としたことから、酒井奥之助家と呼ばれる。奥之助家は、両敬家とも称され藩内でも特別な家として重んじられた。
脚注
[編集]- ^ 『新編庄内人名辞典』(庄内人名辞典刊行会、1986年)p.326
関連項目
[編集]- 酒井直次 - 子孫・陸軍中将
参考文献
[編集]- 庄内人名辞典刊行会『新編庄内人名辞典』